中小企業・小規模事業者のみなさまの成功を間近で。

昨今のSDGsについて考えてみた

社会貢献も、それを持続的継続的自立的に行うためにビジネスという手法を用いるのは一つの回答であり、個人的に好きでもあり共感もする。
SDGsの考え方もその前のMDGsも嫌いでもないしむしろ現実的な方法と思っている。恐らく多くの人は私とそう大差ない印象を持っているだろう。
SDGsはとてもわかりやすく、地球と地球上に住む生きるすべてのものを持続可能なものにしていくものだろう。そう信じているし、信じたい私がいる。
 
ただどうしても懐疑的になるところはいくつもある。
 
SDGsにしてもMDGsにしても脱炭素やマイクロプラスティック問題にしてもそれぞれはとても重要かつその解決において救われるものは多く大きい。世の中が変わるような印象もするし可能性も感じる。今の資本主義を変える、そんな想いすらする。
今まで富を築き尽くした世界の数%の人間が、世界をある意味回してきたその人たちが、自分の身を案じないはずはない。その対策を講じないとも思わない。
 
パラダイムシフトが起きるかもしれない、そんな期待を彼達がそのまま受け入れて、この革命を彼達が甘んじて受け入れるとは私は到底思えない。
何故なら私が彼達なら、命懸けで築き上げた富と権力は守るだろうし、さまざまな策を弄してでも、しかし如何にも尤もらしく、世の中のためにと扇動して、常に時代の中心になるよう、働きかけをするだろうし、身の危険を感じては、それを自らすることもなく裏で、水面下でことを成し遂げようとするだろう。
 
私のようなものですらそう考えると思うと、私の数万倍、数億倍の富を自由に使える彼達は見事な戦略を立てて、何事も何の思惑もないがの如く、やり遂げるだろう。
だからといって今の社会貢献やSDGsやその活動に身を投じている人が利用されているとも騙されているとも思はないし、思いたくもない。思いたくはないが、そう簡単なものではないと私は思っている。
 
ほとんどの人はせいぜい数十年先の幸福しかイメージを持って行動できない。私もよくてせいぜい自分の孫子ぐらいしかイメージして無かったし、できなかった。
 
それが地域の活動をなんだかんだで20年くらい足を突っ込んでいると、その間の世代交代などを経験してみると、少なくとも5、60年、無くなった家を見てたりすると、それが一気に百数十年、ややもすると数百年にも妄想され、これを未来に転じて考えるようになると、人の幸せとは何ぞやと考えるようになる。
 
このスパンで考えると、今のSDGsとか機能するのかわからなくなるし、気も遠くなる。何をしたら良いのかわからないから可能性が少しでもあったり、先は短くとも、何もしないよりはマシだとやったりして、否定的にはならないものの、どこか彼達のテーブルに載って、実は詭弁なんではと思いながら、それもないよりはマシと思ってやってきた。
でも本当にそれで良いのか?
たまにそう思う。
 
この先何百年も先を見据えて世の中が変わることを、今答えを見つけるのは難しい。そんなものに自分の人生を賭ける輩は頭がいかれていると自身がそう思う。
でもそれを自分なりにやろうかと思ってやっている。
人からみれば、何だそんなことかと思われるようなことでも、私にとっては革命に近いそんなものを。人はそれは当たり前というような、おおよそ革命ではなく、変化に過ぎないと、そう呼ぶだろうそんな形で。